寒田瑠花のライター生活を晒す場所(主に)。仕事用のアドレス作りました! kyoumo.kaeru@gmail.com 書きモノやライブへのお誘い、音楽談議など、何でも歓迎。四次元ポケットみたいなもんです。


by rukasoda
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 おひさしぶりです。夏からまったく更新できず、気づけばもう年末!2011年もあと2日!
 今年は春からチョロチョロと就職活動的なことをしてはみたものの、うんともすんとも返事はなく、夏にはお世話になっていたマイスペースでの編集アシスタントも期限切れとなり、毎日を鬱々と過ごし、9月にはアルバイトまで辞めてしまったのでした。
 その後、音楽系求人広告をチェックするなかで自分が気に入っていたライヴハウスのアルバイト募集を発見。これを運命と思い応募してみることに。書類が通り、面接が通り、なんとか合格。就職はできなかったけど、これまででいちばん音楽に近い場所で働けることに希望がわきました。
 現在、勤務がスタートして2カ月が過ぎようとしています。まだまだ自分の不甲斐なさに落ち込んだり情けなくなったりする毎日。でもすぐそばで新しい音楽が鳴っていること、それを全力で支えようとする人が周りに大勢いることがモチベーションを高めてくれています。
 なんだかんだで上京3年目。人生2度目の大きな地震に遭って、非日常の日々を過ごしつつ(いまだに放射線の恐怖を払拭できずにいる)、引っ越しをして他人と一緒の家に住み、新しい場所で働きはじめた年。あっという間に過ぎた1年だった。
 まぁ、将来について考えなくもないお年頃ですが、新しい音楽に触れながら、自分のペースで執筆活動をやっていこうと思います。というわけで来年も何卒よろしくお願いいたします。

 以上、近況報告でした。
 ここからガッツリ音楽の話をします。

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 今年は夏頃から貧乏生活が続いたため、あまりCDを買うことができず無念だった。しかし駅前TSUTAYAさんがいつのまにか邦楽インディーロックの取り扱いを強化していたことで、いくらかはカヴァーできた気がする。TSUTAYAさんには大いに感謝したい。アルバイトは土日出勤できないことを理由に断られたけど・・・。
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 新しく知ったバンドの中でも、ヘンリーヘンリーズ爆弾ジョニーappetite雨先案内人といった、若さ・青さ・強さを持った音楽に出会う機会は多かった気がする。それとTHE BOHEMIANSはライヴもチェックできたけど、若手の中では飛びぬけて華やかで売れそうな感じ。マリーズの志摩氏もチェックしている注目株だし。
 自分としてはラキタのソロ音源『フライングロック』を聴いて以来、この音楽が若いバンドシーンにどうコミットしていくのか注目しはじめている。いろんなバンドと対バンしてシーンを盛り上げてほしいし、先輩ミュージシャンとの絡み合いも観てみたい。
 そのほかで今後ライヴを観に行きたいバンドとしては、killing Boyミックスナッツハウス(shimokita roundupで観たライヴが楽しかった)、NEW HOUSE逃亡くそタわけベルノバジャムズリンゴ少年など。あと、ついこないだ観たMonica Uranglassはダンス・ロックシーンを盛り上げてくれそうな予感。
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 自分のお気に入りアーティストの中では、何といってもアナログフィッシュの活躍に拍手を送りたいところ。震災後に挑戦的なキャッチコピーでリリースされたミニアルバム『MY PACE, YOUR PHRASE, OUR PHASE』は、その完成度の高さに長年のファンですら息巻いていたし、最新アルバム『荒野/On the Wild Side』は、バンド史上だけでなくロック史上に残る名作だと思う。少なくとも自分にとって、このアルバムは震災後の大きな希望だった。10月10日の日比谷野音ライヴではバンドの真価を再確認するすばらしい演奏を聴かせてくれた。ほんとうにこの1年のすばらしい仕事の数々には何度も心を打たれた。
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 そして1年を通してその活動&言動に注目していたバンドが踊ってばかりの国。彼らについてはまた機会を設けて語りたいと思っているけど、とにかく言いたいのが、彼らの存在が今後のシーンをかなりおもしろくしてくれるだろうということ。先月リリースされたアルバム『世界が見たい』では無駄がないのにユーモア溢れる演奏と無色透明なのに深みのある唄声で、ついにバンドとしての本領を発揮した様子。またライヴで聴く下津の唄がすごいのなんのって。最近の若いバンドの中ではズバ抜けた歌唱力だと思う。
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 あと「渚」「SUMMER HIGH」と立て続けにキラーチューン・シングルをリリースしていたシャムキャッツが、ついにアルバム『GUM』をリリースしてくれたのはうれしかった。これがシングルとちがってユルいユルい(笑)。もちろん彼ららしいロマンチックでじんわりくる曲もあって、ユルユルになった心の隙間にばっちりつけ込まれ、いや、沁み込んでくるんだけど。バンドのキャラというか、立ち位置をうまい具合にはぐらかしているのは、意図的なのかなんなのか。そのユルさがまた、下北沢ロックシーンに彼らあり、という空気を漂わせるのかもしれない。
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 それから住所不定無職。フル・ヴォリューム・シングルなる7曲入りCD「JAKAJAAAAAN!!!!!」「TOKYO POP’N’POLL STANDARD NO.1 FROM TOKYO!!!」を2枚リリースしたけど、どちらも最高級のバンド・エンターテイメントが詰め込まれている。彼女たちはほんとうに音楽的にも商売的にもセンスがいいなぁと思う。ロックカルチャーとポップカルチャーを融合させながら、あくまでサブカル臭を失わないガールズ・パンクバンド・・・ こういう複合的なおもしろさを体現してくれるアーティスト、まだまだ出てきていいのでは、と思う。
 いよいよ脂がのってライヴにも音源にも貫録が出てきたロックバンドといえば、おとぎ話。最新アルバム『BIG BANG ATTACK』は、豊潤な演奏と高らかに響く唄、それらを充分に包み込む伸びやかな音がアルバムの世界観を隅々まで丁寧に押し広げている。世界観に固執するバンドは多いけど、彼らの音楽で注目すべきはその表現力だ。個々の表現力を磨いたことにより実現したバンドの実力を最大限に活かして、アルバムを制作したことが聴き手にもちゃんと伝わってくる。キャリアを重ねる毎に成長してきた彼らは、いつのまにか、ぬくもりと手触りのある良質な音楽を届ける職人になっていた。
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 そのほかでは、ちゃんの最新アルバム『それではみなさん良い旅を!』が自分的にツボでうれしかった。それから前回書いたSuiseiNoboAzはタワレコ新宿店の屋上ライヴがまた最高にかっこよくて。自分たちの音楽を研ぎ澄ませている現在の彼らには、来年も期待したい。ボアズ繋がりでいくと、傑作アルバム『イギー・ポップと讃美歌』を聴いて以来、あまりチェックできていないのがオワリカラ。最近はいろいろなメディアで取り上げられているようで、ヴィジュアルが見る度に洗練されていて驚く。来年はしっかりとチェックしていくつもり。
 去年から聴いているandymoriの初期熱はだいぶ落ち着いてきたけど、そのぶんライヴに足を運び、信頼度はどんどん高まっている。来年も3月にニューアルバム『光』がリリースされるとのことで、ライヴで披露されている楽曲を聴きながら、創作意欲とともにどんどん純粋になっていく彼らに希望を感じている。1月にはThe mirrazのニューアルバム『言いたいことはなくなった』がリリースされる。最近の楽曲には疑問を感じる部分もあるが、アルバムタイトルから彼らなりの未来を導き出していることが予想できる。もちろん期待している。


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 とまぁ、ザッと語っても2000字を要するほど今年の音楽シーンは豊作だったってことですね。来年はプライベートだけでなく、仕事でもたくさんの良質な音楽を聴いて、勉強していきたいです!(そんでブログも更新したいです!)

 それではみなさま、よいお年をー!ヽ(^ω^)ノ


2011/12/30 寒田瑠花
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# by rukasoda | 2011-12-30 14:09 | 私生活のBGM
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(手前:ニューアルバム 奥左:1st)

SuiseiNoboAzの2ndアルバム『THE (OVERUSED) END OF THE WORLD and I MISS YOU MUH-FUH』。この作品のリリースを、わたしは一年近く待ち焦がれていた。発売日に買い、家に帰ってすぐイヤホンで聴いた。音が鳴りだすと、耳と頭が一緒に震えている感じがして、一曲目を聴き終わらないうちから、この作品全体が最高の仕上がりになっていることを確信した。もちろんアーティストからしてみれば、アルバムの完成=最高の仕上がりであることは当たり前だと思う。けれどリスナーにとっては、そのアーティストのファンでもない限り、捨て曲なしのアルバムに出会うことは案外むずかしい(実際わたしが彼らの1stアルバム『SuiseiNoboAz』の全曲を好きかといえば、そうではない)。
そんな中で、“今回のボアズのアルバムは最高のモノになる”というわたしの予感は裏切られなかった(もちろん最後まで)。去年9月の新宿で、わたしが最後に観た彼らのライヴ――あのとき感じたあの気持ちが、CDの音と一緒になって蘇ってきた。

彼らの前作は、向井秀徳がプロデューサー/エンジニアを手掛けた話題作だった。しかしそれと同時に、その音楽性はどうやってもNUMBER GIRLZAZENBOYSを意識せざるをえないものになっていた。現にその点に惹かれた人やそこから彼らの批評を展開する人も多かったと思う。今作品においても、向井氏から貰い受けたモノの片鱗はもちろんある。だが、それは前作ほど露骨なものではなく、せいぜいバンドのひとつのルーツとして存在している程度だ。むしろ今作品以後にSuiseiNoboAzというバンドを批評するとき、必ず語られなければいけないのは、彼らが確立しているその世界観の方だろう。

先ほども書いたとおり、わたしは去年の夏頃からこのアルバムを楽しみにしていたわけだが、その理由として、去年の9月に新宿で観たボアズのライヴに衝撃を受けたことがあった。正直、1st発売直後のボアズの新曲には、身体性はあるものの、それが誰の肉体なのかわからないような、不一致の感じがすごくあった。ローテンションでグランジっぽい曲もあれば、楽器で空間を震わせることに固執したようなサイケな曲もあったが、そのどれもが太く短いボアズの音楽性に合致していない気がして、聴いていても明確な作品として入ってこなかった。
だが、その数か月あとのライヴには、ピクシーズに負けるとも劣らないグッドメロディの新曲ばかりを鳴らす彼らがいた。ここでいうグッドメロディというのは、前作に収録されていた「Happy 1982」のような曲調だ。彼らには、獰猛なビートやエッジのきいたサウンドのほかにも、この曲のように思わず心臓を鷲掴みにされるノスタルジックで甘美なメロディという武器があった。生粋のメロディフェチであるわたし自身も、彼らのそういった部分にやられてしまった人間だ。
そのときのライヴで『THE (OVERUSED) END OF~』から演奏された曲は「shoegazer」(3曲目収録)「arizona」(6曲目収録)「Ask For Tiger」(9曲目収録)との情報があったので、わたしが興奮した曲はおそらく「shoegazer」なのだが、この一曲に限らず、今回のアルバムの楽曲は総じてメロディがすばらしい。聴いていると、白黒の風景(世界の名所とか渋谷の街並みとか)に極採色のペンキがブチまけられていくような映像が浮かんできて、恍惚としてしまう。単純に好みの問題なのかもしれないが、彼らの魅力はこういったケバケバしいロマンチシズム、もっと言えば“自己陶酔”を表現したようなメロディにこそあるのではないだろうか。

しかもこのアルバムは、ただ耳を傾けているだけなのに、まるでどこか別の、ここからすこしだけズレた世界で起こったいくつかの寓話を聞いているような感覚になる。これは、一貫して鼓膜を震わせている歪んだサウンドが、リスナーの脳内に別世界を生み出す手伝いをしているだけでなく、ヴォーカル石原の掠れた声帯が、まるでファンタジーの中の旅人のように、猥雑な物語を囁きかけてくるせいだろう。
もともと石原の歌詞と声にはオリジナリティがある。彼は日本語のアクセントやカタカナ語のユーモアなどを意識した上で、ロック好きのリスナーに対して戦略的かつ効果的な歌詞を書いている。今作品でも、現状の世界に対する罵倒の言葉をぶっきらぼうに並べながら、同時に“赤白帽ゴムの味”“甲州街道はすいかのにおい”“横浜 市民プールのにおい”“11月末託された 牛丼屋の割引券”“環状七号近くでピアノのお稽古が始まっている”“便所サンダル履きの足の裏に感じている”といった自分の内部にしか存在しない物語(記憶や引用が混じったイメージ)を匂わせては、独自のロマンティックな世界観を提示している。わたしが彼をミッシェル・ガン・エレファントチバユウスケと重ねてしまうのは、そういうレトリックのうまさのせいだと思う(ちなみに声は全然似ていないと思う)。

おそらくこのアルバムを制作する過程で、彼らはバンド独自の“世界”を構築していく作業にもっとも集中したんじゃないだろうか。それはサウンドの追求や作詞の細密化だけでなく、バンドの概念を再構築する作業でもあったと思う。メジャーの初っ端でその力を称賛されながら、1年10か月という期間をかけて完成させたこのアルバムには、そういうところまでこちらの想像をかきたてるほどの重みがあるのだ。それと同時に、こんなにも迷いのない作品を生み出してしまった彼らが、今後どのように物語を展開していくのか――そこに誰もが注目していると思う。

現在、SuiseiNoboAzというバンドには強く鋭い光が射している。彼らの音楽は決して大衆全体に開かれたものではないけれども、その大衆の中で、タフな精神を持つがゆえに疲弊している人たちを元気づけられるのは、まちがいなく彼らの音楽だと思う。
熱帯夜っていうだけで苛ついている人がいたら、“そんな夜にこそ、このCDをひとりで聴け”とおすすめする。
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# by rukasoda | 2011-07-30 15:28 | 音楽ライティング
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(写真左から、シャムキャッツ最新音源「渚」、「DEMO SINGLE SERIES 2」、1st「はしけ」)

久しぶりに更新。最近は引っ越しの準備でとっても忙しい。つっても、街を北から南に移動するだけなんだけど。新しいマンションは見晴らしのいい高台に建っていて、一匹のトラ猫の縄張りになっている(いつか懐かせる!)。部屋は窓が多いおかげで日当たり良好。緑が多いところも気に入っている。
東京にきて丸2年が経って、いろいろな人に出会った。そしてこのあいだの地震でやっとこさ、大切な人と一緒にいることはつくづく重要なんだということに気付いた。新しい場所では丁寧な生活をしたいと思う。大切な人といろいろな話をし、おいしいものを食べて、すばらしい音楽をたくさん聴くのだ。

音楽の世界は、こんなご時世になって、たくさんのイベントが中止になったり、売れてるアーティストの新曲といえばチャリティーソングだったりと、いまだに非日常感がつきまとっている。そんな中で、わたしは淡々と生まれている音楽を淡々と楽しみたいと思う。もちろん被災の影響は自分自身にだってあるし、社会全体が危機感や慈善の精神を末長く持ち続けることは大切だと思う。だけど、それ以上に日常を育むこと、ひとりひとりの精神が毎日健康であることを、わたしは尊重する。それが自分自身を「生かす」ための最優先項目だと考えるから。
チャリティーソングにメッセージを求めるまでもなく、現在わたしたちはたくさんのことを実感できている。今まで何気なく聴いていた曲も、噛みしめながら聴いている。「あぁ、この歌はほんとうにすばらしいなぁ」と、その存在価値を何度も再確認している。いや、実際は曲を噛みしめてるわけじゃないのかもしれない。いつ失われるともわからない平和で退屈な日常を噛みしめてるのかもしれない。
何にせよ、それぞれの生活の中でこれまでフツーに鳴らされてきた音楽は、今、いちばん充実したかたちでリスナーに届いているんじゃないかと思う。携帯電話やルールや制限時間に意識を削がれてきた人たちが、音楽に込められたたくさんの意味に気付いて、立ち止まる。そんな豊かな時間が今後増えるんじゃないかと、わたしは思っている。
前置きが長くなったけど、そういうわけでわたしはこれから自分自身が最近お気に入りで聴いている音楽の話をする。シャムキャッツという名前のバンドで、こないだタワレコでインストアライヴを観てきた。前々から好きだったけど、このライヴを観てさらに彼らを好きになった。この季節に絶対おすすめしたいバンドなのだ。

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アンニュイでノスタルジックでファニー。季節の風にふわふわと漂いながら、いつもその人だけの匂いを纏わせている洗濯物のような音楽。聴いた人の嗅覚をジーンとさせるバンド。耳を楽しませるのが音楽の本分であることは間違いないけど、彼らのように鼻へアプローチしてくる音楽は、構造上そのまま涙腺を刺激してくる。まるで夏の着古したTシャツのようにすこし甘酸っぱく、冬のコートの下に着たネルシャツのようにあたたかく、いつもほのかな体臭を纏わせているのが、シャムキャッツの魅力だと思う。
こういうバンドが好きな人は多かれ少なかれめんどくさい人のはずである。なぜなら音楽にまで人間味を感じたいと思ってしまう貪欲な精神の持ち主だからである。ただ、わたしはそういう精神の持ち主が大好きだ。だからシャムキャッツや彼らを好きな人たちのことも、多分好きになれるような気がしている。

まず、大木兄弟(ハル&トモフスキー)好きなら絶対に好感を持つローテンションな唄。天気のいい日に、とくに目的もない様子で近所をぶらぶらと散歩している、気のいいおにーちゃんの声。強風が吹けばふわふわと飛んで行ってしまいそうな非-所有感。そうして油断させておいて、心の隙間にヒョロっと侵入してくるような親近感。書かれる歌詞も曲によってさまざまで、オフィスや散歩道、電車の中、部屋といった場所を切り取って怠惰で何てことのない日常を唄ったものもあれば、夢みたいな空想やセンチメンタルな心象風景を唄うものもある。うっかりすると、ナンセンスなことばを積み重ねただけに聞こえたりもするから危うい(笑)。だけど、そんなふうにバラバラの世界を唄いつつも、それがひとりの確固たる「僕」から生まれていることがちゃんと感じられるから、やっぱりいい歌唄いは理屈じゃないのだと思う。
そして、ちょっとささくれ立ったギターには、痛いところを責めてくるブルースのエグさがある。不思議なことに、このギターは同じCD同じフレーズでも毎日ちがったニュアンスで耳に届くのだ。一昨日は急かすようなギターソロだったのに、昨日はスキップしているみたいに陽気に聞こえて、そうかと思えば今日は雨粒のような繊細さで胸をキュンとさせたり。毎日くるくると表情を変えるその音は、街に吹く風のようだと思う。撫ぜるようだったり、叩くようだったり、拒むようだったり、背中を押すようだったり。ひと吹きで、新しい季節を感じさせてくれることもある。
ベースは芯の太い音で、「僕」の心の中をあらわすように鳴っている。街を歩く「僕」の喜々とした歩調や黄昏の足取りを感じたり、強く主張する鼓動や感傷的な精神の揺らぎ、ときには青やオレンジといった色を感じることもある。あったかかったり湿っていたり。人間の内面――不安定で曖昧な心と体内の確かな生命力――の両方を表現しているようだ。
そして、ドラムがバンドの世界観を味わい深く燻している。ドラムの抑揚や強弱といったひとつひとつのディティールが曲の精度を高め、繊細な空気感としてバンドを包んでいる。その音が表現するのは唄い手の「僕」が見ている景色+αの部分だ。たとえば散歩道のわきに咲く花はチリンと、暮れていく街の影はボヤンと、お昼のまどろんだ空気はドーンドーンと鳴る。唄に掬われていない景色、空気、匂い――耳を澄まさなければ聞こえない音。ときには横を通り過ぎていくダンプの轟音みたいにも聞こえるからおもしろい。

これは全部わたしの抱くイメージだけど、彼らの音楽を聴けば必ず何か頭の中に「絵」が浮かぶはずだ。このあいだリリースされたワンコイン・シングル「渚」では、飛んでいきそうなほど強く流れる初夏の風のようなギターと、遠くから射すまぶしい光のようなドラムに、素っ裸で溶けるような歌と、その中でハッキリと鳴る心拍音のようなベース、というコントラストが耳と脳みそと心臓にいっぺんに迫ってきて、歩きながら思わず泣いた。歌詞がいいとか泣けるメロディがあるとかそんなんじゃない。とにかくイメージが迫ってきて、呑み込まれる音楽だった。
すばらしい音楽からは無限のイメージが生まれる。そのイメージは、日常の景色を自由に変える力を持っている。手に入れるか入れないかの違いなんだよ。シャムキャッツをまだ聴いたことがないという人、「渚」だけでもいいから是非聴いてほしい。このバンドを知るなら今しかない、と言っておく(エラソーに)。

そんなわけで、今回はシャムキャッツを紹介した。だけど実は、踊ってばかりの国も紹介したかった。「えー、そっちのがよかったー」という人は次回に期待してね。うふ。
これからもすばらしい音楽を聴いて、平和で退屈な日常を健康な精神で楽しみましょう。
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# by rukasoda | 2011-04-25 00:51 | 音楽ライティング
はじめてその歌を聴いたとき、鳥肌が立った。まぁ、彼の歌で鳥肌が立ったのは初めてじゃないんだが。「バタフライ」(1st『アナログフィッシュ』収録)「Queen」(2nd『KISS』収録)「公平なworld」(3rd『ROCK IS HARMONY』収録)「sayonara’90s」(4th『Fish My Life』収録)「平行」(5th『Life goes on』収録)ときて、再び訪れた何度目かのしあわせな驚きが体を駆け巡っていた。
アナログフィッシュというバンドのGVoである下岡晃の新曲「戦争がおきた」を最初に聴いたのは、2月12日、冷たい雪と雨で口から吐き出される白い水蒸気さえも凍りそうな夜。八丁堀にある「七針」というイベント・スペースで、隠し事のようにひっそりとおこなわれた弾き語りライヴで、彼は初めてその歌を唄った。歌のタイトルを聞いて、またストレートなタイトルをつけたもんだなぁ、と思いつつ、そのことばが持つ力に、いやでも息を呑んで耳を傾けざるをえなかった。
(※以下の歌詞はわたしが2回聴いて覚えた大まかなものなので、記憶違いや誤読もあるかもしれません。その場合は後日謝罪して訂正いたします。ご了承くださいませ。)

 
  (唄い出し)朝目を覚ますとTVから“戦争がおきた”ということばが聞こえてくる。

  バイトに行って、夜に彼女と会ってお酒を呑んで、セックスをする。


実際の歌詞は“愛し合って”なんだけど、彼がこういう出来事をことばにするのは珍しいから、余分にエロスを感じてしまう。ようするに一日のスタートとなる朝の風景から、労働を終え、疲れた体を癒す恋愛へと流れる物語だ。歌は小説のようにツラツラと続く。


  幼いころ、夕ご飯のお手伝いをしていると、どこからともなく誰かの“戦争がおきた”という声が聞こえてくる。

  食卓に料理を並べ、みんなでそれを囲んでいると、窓の外が光って、知らないどこかの家族の食卓にミサイルが飛んでくる。


おそらくこの部分は夢と記憶がゴチャ混ぜの感。記憶の中にある自分と家族の食卓風景。そこで不意に耳に届く“戦争がおきた”ということば。次の瞬間、シーンが戦時下の国の家族の食卓にワープする。そこには、今まさにミサイルが飛んでこようとしている。
わたしの鳥肌はここで一気に総立ちになった。彼は、日常をつらつらと唄う流れのまま「夢」の世界に流れ込み、過去の体験から形成されている「記憶」というものに、一瞬で戦争の「イマジネーション」を差し込んだ。しかもそのイマジネーションは、離れた場所から眺める風景のような生温いものではなく、体ごとの現場への「ワープ」だ。まるで自分の家の食卓に起きたことのような脈絡で、彼はそれを唄った。自分が今まさにありつこうとしている幸福な食卓と戦時下の家族の食卓、本来埋まることのない未体験者と体験者の間にあるその距離。それを彼はことばの力で簡単にゼロにした。この時間軸と場所のテレポーテーション、その身軽さに、わたしは震えるほどの衝撃を覚えた。
では、彼が一瞬にして埋めたその「距離」の間にあったものは一体何なんだろうか。わたしは以下でそこのところを強調する。

戦争を体験していない人間が、戦争を語ることはむずかしい。本や映像から学んだ情報をいくら膨大に持ち合わせていようと、そんなものは実際の戦争のそれに遠く及ばない。
だけど、平和な日本で生きているわたしであっても、いつもどこかで戦争が起きていることだけは知っている。自分自身が生きる現在の世界と平行するカタチで戦争が起き、死んでいく人がいるという情報は、耳や目からいやでも流れ込んでくる。
戦争が起きなきゃいけない理由はわからない。でも、その場所にいる人のことを想うと、胸が痛む。何も悪いことをしていない人たちが爆弾で殺される。ひとりと数えられないまま、何の犠牲かもわからないまま死んでいく。一言も文句を言えず、誰にも会えず、逃げられず、抱き締められず、愛し合えず、何の音も声も聴けず、笑いも泣きもしないまま、死ななければならない。そんなことが起きていることに悲しみややりきれなさを感じ、どうしてかと疑問ばかりが浮かぶ。そんなことが起きていい理由をいくら探してみても、わたしには一生見つけることができないと思う。
こんなのは知らない人間同士の話だ、遠くの世界の話だ、と考えることは楽かもしれない。でも、こうは考えられないだろうか?
家族や恋人、友人。みんな大切な「他人」だ。どれだけ愛し合い生活の距離を縮めても、自分とはちがう世界を持ち、自分だけの世界で生きている人々だ。ちがう世界を平行に生きながらも、人間同士はどこかの点で交わったり、それぞれの点と点で想い合ったりする。そういうことが、人間にはできるのだ。それを人は「関係」と呼ぶ。
だとしたら、戦時下にいる人間も同じじゃないか? 戦争がいくら遠くで起きている出来事であっても、人間を介するとただの「他人」と「他人」、点と点の距離にしかならないんじゃないか? だとしたら、その距離を埋める手段は無数にある。
相手のことを想うこと、想像すること――それが「関係する」ことの第一歩なのは確かなんじゃないかとわたしは思う。


そして、彼は唄い続ける。

  朝目が覚めて、彼女と昨夜の続きをしていると、またTVから“戦争がおきた”ということばが流れてくる。

  それを聞いた彼女が“何かが変わるといいね”とつぶやく。

ここから“戦争がおきた”ということばを何度か繰り返して曲は終わっていく。


再び朝がやってきて、現実に戻り、恋人という関係のふたりはまたセックスをする。そして彼女の“何かが変わるといいね”というつぶやき。「何かが変わってほしい」という願いと「何も変わらなかったら」という不安の両方がない交ぜになったようなことばだ。戦争のない世界を望みながら、半分絶望しかかっている人間の姿そのままだと思う。
他人である二人の関係性を繋ぐものは愛だ。信頼や慈悲や心地の良さに満ちた感情だ。お互いの場所でお互いを想い合い、譲り合い、信じ合う。ときには体の距離だけでもゼロになろうとする。お互いの痛みはわかり合おうとするし、できるだけ取り除く術をともに考える。
彼は頭の中で同じようにして、生身の体を戦争に差し出している。まるでトラウマを作ろうとしているみたいに、遠くの出来事と自分自身の記憶(原初体験)をシンクロさせる。
 現実的に考えると、こんな思想はただの無力なロマンチシズムにしかならないかもしれない。でも、そうやって彼の口から唄われる戦争の姿は、プラカードに書かれた反戦メッセージよりずっと説得力と痛みをもってわたしに届いた。同じように、この歌を聴いた誰かが自分自身の中にある戦争を考えるキッカケになるかもしれない。

戦争を望まないなら、それをことばにしていく義務があるとわたしは思う。自分自身の生活の流れの中で、つねに戦争を考える。遠くで苦しむ他人と手をつなぐところを想像してみよう。レノンも言ってることだ。いつだって想像することを忘れちゃいけないんだ。
下岡晃という人は、本来埋めることのできない彼自身の「生活」と「戦争」の間にあるフィルターをイマジネーションの力で取っ払い、それを唄った。もちろんこれからも彼は唄い続けると思う。それがわたしという「他人」に影響し、こんなふうに長ったらしい文章を「書く」という行為にまで至らしめる。表現することは、そういう出来事の連鎖を生んでいく。だから、多くの人が考え、想像し、語り合うことが重要なんだと思う。それがいつか、暴力や武力を終わらせる希望につながっていくかもしれない。

この「戦争がおきた」という曲は、5月にリリースされるアナログフィッシュの新譜に収録されることが決定している。ぜひ手に取って聴いてみてほしい。そして、何を思ったか。自分自身でこたえを見つけてほしい。


※3/27のライヴにて再聴したところ、歌詞に誤りがあったため、3/28追記訂正します。以下。

 (元)バイトに行って、夜に彼女と会ってお酒を呑んで、セックスをする。
  ↓ 
 (改)街に出かけて、彼女とお酒を呑んで、映画を借りて観たあと、セックスをする。

「バイト」の部分は別の歌詞と履き違えちゃってたみたいです。ウソ書いてごめんなさい。
なので労働のくだりはナシで。
その変わり「映画」というワードはファンタジーを連想させるいいワードかもしれない。
また聴いてみて、ひらめいたら書きにきます。
さらに誤解しているところがあれば訂正・謝罪しにきます。


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PECF-1026 felicity cap-121
定価¥1,500 (税込み)

1. PHASE
2. 戦争がおきた
3. TEXAS
4. UNKNOWN
5. 風の中さ

「僕たちのペース×君だけのフレーズ=この次のフェーズへ。
 新章突入!アナログフィッシュ、プロテストソングで踏み出す、と。」
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# by rukasoda | 2011-03-07 22:20 | 音楽ライティング
後輩のレ―ベルをお手伝いしてるのだが、そのブログ内で定期的にレビューを書くことになった。転載可ということなので、コチラのブログにも載せていこうと思う。
いや、ブログ無精になりつつある自分にはいい機会だ。がんばろう。最近のモロモロのライヴ参戦歴も近々書きにきます。きたいです。
以下、住所不定無職のレビュー。長いですけど好きな人は読んでください。

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わたしは女性ヴォーカリストをあまり好んで聴かない。なんというか、歌声にしても楽曲のノリにしても、世の女性像(そんなモンはそれで得したい人間だけが共有しとるチンケな虚像なんですけど)から駆け離れない程度の個性を売りにして、その結果キャラ以上のイチ個人になりきれないかんじが、どうにもセセコマシくて好きになれないのだ。女の自分が言うのもなんだが、ほんとうの女子というのはもっと個人的で、中二男子なんか目じゃないくらい自分の世界をドップリ愛してて、領域を侵されようものなら野獣のように襲いかかってくる――そんな動物的なオソロシさのあるイキモノだと思う。だからこそ、その内面をもっとオモシロおかしく表現するだけで新しい音楽を生む可能性があるし、それがたくさんのリスナーを夢中にさせる魅力につながっていくんじゃないかと思う。

そんなかんじで女性ヴォーカルに偏見を持つわたしだが、最近あるガールズバンドに骨抜きにされている。名前は住所不定無職
彼女たちの1st『ベイビー! キミのビートルズはボク!!!』を試聴したのが出会い。まずピンときたのは、ボーカルの歌がヘタクソだったところ。そのすぐあとには、演奏のレベルにも問題アリと気付く(笑)。だけど、そのCDから聞こえてくる音楽に、わたしは不思議なパワーを感じていた。彼女が一生懸命作った手料理を、食べる前からおいしいと感じたい彼氏の心境、といえばわかってもらえるだろうか。それは、料理評論家に判断してもらうものでも、ちまたで多数決をとるものでもない。ただ彼女の努力や愛情を受け取ることのできる自分だけが知ることのできる味だ。
まぁ、そのときは、ただデタラメなガレージパンク感がおもしろくて購入したんだけど。その後、聴く度にドンドン彼女たちの作る音楽のトリコになっていった。
ただ、1stにおけるバンドのクオリティーは、実際かなり微妙だった。名曲は多けれど、アレンジが中途半端なせいで伝える力がガス欠気味に感じる曲もあった。ライヴにも足を運んだが、チープな存在感を楽しむのにも限界があるなぁ、というのが正直な感想。

しかし彼女たちはいつのまにやら一流になっていた。わたしなんか知る由もないところで腕を磨き、料理評論家をもうならせる絶品料理を、2品目にして完成させたのだ。それが先日リリースされた2ndアルバム『JAKAJAAAAAN!!!!!』である。まぁまたおもしろいものが聴けるのかしらん、といった期待で購入したわたしの浅はかな脳ミソに、スタンガンを。というわけで、反省の気持ちを込めて全7曲についてザッと走り書きしておきます。

●まず一曲目の「マジカルナイトロックンロールショー」。プードルばりの愛嬌で油断させておいて、サビではビター&スウィートなメロディでハートの泣きどころをガツンガツン攻めてくる。そして唄われることばは“キミのサイダー ボクのせいだ”である。なにそれって言われそうだが、このフレーズがどれだけ胸キュンを誘うかは音源を聴いて確かめてもらうほかないだろう。

●続く二曲目は「1.2.3!!」。今度はジャクソンファイブばりに腰にクるポップネスが鳴り始める。ダンサブルなキーボードでご機嫌になっていると、またしてもきた…! そう、それはまるでバイクで夜の高速を走り抜けているような、やさしくて力強いメロディ。キラキラと輝き出すハートのビート。“夜空の隙間に飛んでいくよ”… なんてロマンチックなことば!


●そんな高まる気持ちのまま、3曲目、至高のラブソング「あの娘のaiko」がはじまってしまう。この曲は1stにすでに収録済みなのだが、今回はバージョンちがいで再収録されている。焼きいも屋のハーモニカのような音が少々耳につくかんじだ。でも、ベースが重くなって前より深みが増している。これは好みの問題かもしれないが、わたしは前バージョンのほうが好きだな。弦のにじんだ音とダイナミックに踏み込まれる太鼓の音が、弱々しく強がっているこの歌の本質を見事に表現できていた気がする。

●そして次が底抜けにヤバい4曲目「狂言メッセージ」BOaTというバンド(1998~2001年に活動)のカヴァーで、メンバーだった人がキーボードを弾いていて、なんとヴォーカル&スクリームでKING BROTHERSまあやが参加してるのだ。まぁかっこいいに決まってるわな。でもこれ、メロディがとにかくすばらしい曲なんだけど、実は原曲からかなり削ぎ落としてるんだよね。その結果、めちゃくちゃわかりやすくて届きやすくなってるところがまたすばらしくて。またヴォーカル・ユリナの吐き捨てるような唄い方がいい! まあやの粗雑でセクシーな低音も最高だ。これはまちがいなくロックンロール史上に残る名演だと思う。


●いきおいそのままに、5曲目「メガネスターの悲劇」。タイトル通りのフザケた歌詞(笑)だけど、チープなアレンジと歌がたまらない。下手したらただのロックンロール・オマージュ曲になりかねないところを、彼女たちは狂気をスパイスにすることでラヴリーに変えている。これができるから、住所不定無職はオモシロおかしいのだ。

●続く6曲目「渚のセプテンバーラブ」は、こちらもタイトルそのままに、松田聖子が唄う昭和歌謡のような愛嬌と哀愁のあるメロディ。なのに、どう聞いても新しいと思えるのがすごい。これは彼女らのガレージ感満載のギター演奏やスネアの雑音感があくまでこの曲をロックたらしめていることに加え、ヴォーカル&作詞・ユリナのすばらしい才能があってこそ成り立つものだと思う。とくにことばのチョイス(語感とリズム感が最高)がいい。唄われることばが、どんどん曲の世界を構築し、その表情を豊かにしていく。こういう歌を作れる音楽家は、ほんとうに数少ないと思う。


●そしてラストナンバー「死語カード」。重低音と、かき鳴らすようなギターソロ。彼女らのパワフルな部分が全開になった短距離走のような歌だ。おそらくライヴでは「激しかっこいい」という造語がピッタリはまりそうな、ガールズバンドとしての彼女らの魅力が最大限に発揮されることだろう。みんな死語であることなど忘れて“わかったぴょん吉”って叫ぶね(笑)。

 と、ここまでが曲の感想。こっから女子の話の続きをします。
彼女らの歌詞は、上で出した以外にもかなり独特なことばがたくさんある。たとえば“うめぼしだって ボクが食べてやる ロックンロールショー”や“あの娘がカラオケでうたってた あの下手くそなうた”や“キメ台詞 今日も噛んだ 終わっちゃうよ ラストナンバー”など、なんとも胸をかすめるような歌詞が満載なのだ。これらのことばはキレイな恋の歌には絶対に出てこないけど、わたしたちの胸をキュンとさせる響きを持っている。わたしはこれが住所不定無職というバンドの存在を輝かせる最大の要因になると思っている。
そして2ndにしてわかったことは、ヴォーカルのユリナは実はめちゃくちゃ唄がうまいということだ。否、巧いのだ。ときに無垢な愛嬌を、ときに包むようなやわらかさを、ときに傷つけるような汚らしさを、ときに誰も寄せ付けない狂気を。そして、そのどれもがしっかりと耳に届き、確実にこちらの胸をキュンキュンさせる。まるで、彼女に女の子の気持ちを耳打ちで教えてもらっている気分になるのだ。女子である自分でこんなんだから、これが男子だったらどうだろう。めちゃくちゃ贅沢な気持ちになれるんじゃないの? とうらやましく思うね(笑)。

ダラダラ長々と書いたが、ようするにわたしは、彼女たちを単なるガールズバンドで終わらせたくないのだ。彼女たちがしていることは、音楽だけでなく、恋愛や生活への希望にだって繋がっていくハズだからだ。イヤなことがあったとき、傷ついたとき、悲しくなったとき、彼女たちの歌を聴けば、まるで大好きなあの子がほっぺにキスをしてくれたような、しあわせな気持ちになる。それが地位や名誉を争うことなんかよりずっとずっと大切だってこと、みんなとっくにわかっているだろう。だから彼女たちの音楽が世界中に必要なんだ。教科書には載ってない、恋や愛のすばらしさを教えてくれる存在が。
住所不定無職は、女子ワールドを最強のポップネスで発信できる数少ないバンドであり、ロックンロールという教科書で世界に愛を布教する伝道者なのだ!
――それをみんなに知っていてほしくて、彼女らに恋する女子代表として、この文章をがんばって書きました。
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# by rukasoda | 2011-02-07 14:35 | 音楽ライティング